はじめまして、Pyrus Baseball の國正 光(くにまさ ひかる)です。

現在、人材会社リクルートで企画営業をする傍ら、小林・勝嵜と共に考える力と野球力を磨く野球アカデミー「Pyrus Baseball」を立ち上げました。私がなぜベースボールアカデミーの立ち上げに参画したのか。

「野球が好きな子どもたちを増やしたい」
「野球やスポーツを通して、自己実現の幅を広げてほしい」
「野球界に対して、未来の子どもたちになにか恩返しをしたい」

こんな思いが根底にあるからです。

初回である今回は、自己紹介ということで、私自身がどういう人間なのか、どんな人生を歩んできたのかを今回はお話できればと思っています。その中で、私が大切にしている価値観やアカデミー設立の原点を少しでも感じていただければ嬉しいです。

目次

  1. 【野球との出会い】
  2. 【栄光と挫折の中学時代】
  3. 【怪我と闘った高校時代】
  4. 【明確な目標設定が生んだ成果と自分自身の甘え】
  5. 【実業団アスリートの現実と挫折、そして現在へ】
  6. 【プロフィール】

【野球との出会い】

これを話すと漫画のMAJORみたいだねとよく言われるのですが、同じマンション住んでいた同級生から誘われたことがきっかけで野球をはじめました。万年1回戦負けのチームで、でもみんなで野球をするのが楽しくて仕方がなかった。サッカー部、バスケ部関係なく、「今日試合するから野球しようぜ」と毎日声をかけていた、そんな少年でした。6年生の最後の試合で市内3位に入賞し、勝利の味を覚え、より強いチームで自分の実力を磨きたいと強く思うようになりました。
好きなことであればいくらでも熱中できること、そしてこの少年野球団時代の「楽しい」という感覚が自分の原点になっています。

【栄光と挫折の中学時代】

地元でも強豪チームに入団してからは、全国大会にも何度も出場し、県大会のタイトルを常に取れるような環境でした。そのため、入団当初は試合に出ることができず、悔しい思いもしました。同時にチームの先輩や全国の猛者との実力差を感じさせられ、ただがむしゃらに練習するだけだめだと考えるようになりました。そこから、何を変えればもっとうまくなれるか、試合で活躍できるのかを考えるようになり、一人で家の近くの本屋さんで野球の本を読み漁ったり、プロ野球中継を食い入るように観ては、素振りやシャドーピッチングを近くの公民館の窓に映る自分を見ながら基礎練習を積み、最終的にレギュラーを獲得することができました。また、最後の大会で、全国の舞台も経験することができました。
自ら考えて、アクションに落とし込むことで自分自身が成長することができる、そしてそれが確かな自信になることをこのときに感じていました。

【怪我と闘った高校時代】

高校入学後、すぐにレギュラーを獲得したのですが、クラブチームで週2〜4日をフルコミットしていた形から、週6日、毎週末に2試合の練習試合という形に順応できず、腰を疲労骨折してしまいます。
そこからは治りかけでシーズンに突入し、シーズン中に一度離脱、最後に少し出場するという形を繰り返していました。今思えば、なぜ怪我をしたのか、繰り返さないためにどうするかを考え、きちんと休むことも大切だったなあと感じていますが、当時は試合に出たくて仕方がなかったのです。
レギュラーとして試合には出ていたのですが、自分の満足するプレーができずにいました。ただ、まだ自分はやれるという根拠ない自信の元、大学野球でプレーすることを決意し、受験勉強を始めます。
「大学に入って野球部でエースになること」を目標として掲げ、志望大学に入るためだけの受験勉強を半年間繰り返しました。結果、志望大学に合格し、大学野球への第一歩を踏み出します。
怪我をしたことで、自分自身を客観的に捉えられるようになり、そして野球以外でも野球で日々行っている目標設定からの行動設定などが活かせる成功体験を積むことができました。

【明確な目標設定が生んだ成果と自分自身の甘え】

晴れて志望大学の野球部に入部したのですが、野球名門校出身者が多く、練習初日で実力差を痛感します。ただ、受験の際に決めていた「エースになる」という目標を改めて心に決め、エースになるために「いつまでに何をするのか」を野球ノートに書き出し、愚直に行動し続けました。
幸運なことに現巨人の捕手、小林誠司選手の練習の手伝いする代わりに、キャッチボールからピッチング、配球や野球への姿勢を学場せていただいこともあり、無名校かつ一般受験出身ながら1年生から試合に出場ができ、3年時にはエースとしてチームを牽引する立場になることができました。このときに初めて本気で「プロへの挑戦」を意識しだしました。
しかし、自分の中での目標を達成してしまったがゆえに、気の緩みと怪我も重なり、成績は徐々に悪化していきました。このときに目標設定の大切さとともに、目標の再設定の重要性も痛感させられました。
大学4年になり、社会人野球でのプレーを目指しながら、一部就職活動も行いました。いくつか選択肢がある中で、前職の企業で野球を続けることを選択しました。(この時の決断については、別の機会に発信したいと思います)理由はいろいろありますが、「新しく立ち上がる組織でチャレンジできるチャンスがあること」と「今の自分にしかできない野球を続けたい」と思ったためです。

【実業団アスリートの現実と挫折、そして現在へ】

新チームの立ち上げということもあり、ルールも何もなく、既存社員の方も受け入れる体制が整っていなかったこともあり、とても野球に集中できる環境ではありませんでした。また、仕事との両立もはじめての経験で戸惑いも多く、今までが非常に恵まれた環境であることと、好きなことで稼ぎ続けることの難しさを感じました。
そんな中でも、目標を見失わずに続けることができたのも、大学時代の失敗のおかげで、小さくても常に自分で目標を立て続け、それを達成し続けることを地道に取り組み続けました。
私自身は2年目の全国大会予選の前に肩を怪我をしてしまい、引退を余儀なくされました。今までずっと続けてきた野球が失われたことによるショックとこの先の将来への不安から当時はまともに眠れなかったです。このときに、野球に一生懸命取り組んできたがゆえの選択肢の少なさを痛感するとともに、自分と同じような想いを持った人を支援したい、世の中にどんな仕事があるのか知りたいと思い、現在の人材会社に転職をしました。
人材業界に入って思うことは、「今まで野球で培ってきた物事の考え方やスタンスが活かせること」と、一方で「全く通用しないこと」があることです。今まで培ってきた経験を生かして、きちんと社会で価値発揮を、自己実現できるようにつなぐ架け橋になりたいと思っています。
そして今、このアカデミーを通して、私が今まで経験してきたことを伝えたいのはもちろん、子どもの可能性を最大化するためにできることを徹底的にGIVEしたいと心から思っています。小学生の当時、自分がこんな形で野球やスポーツに携わっているなんて、夢にも思いませんでした。これも、野球を通して得られたことであり、選択肢の広がりです。
私の原点は「野球を楽しむこと」です。
その楽しさを通して、自己実現をしていく手助けや選択肢を増やすことのきっかけをこれからこのアカデミーで創って行きたいと思っています。
もしご興味ある方は、ぜひ遊びに来てください。
DMやお問い合わせもお待ちしております。

【プロフィール】

名前:國正 光(くにまさ ひかる)
生年月日:1991年10月25日(27歳)
出身:神奈川県
家族構成:3つ下の妹の2人兄弟で4人家族
趣味:旅行・キャンプ・BBQ(アウトドアが大好きです)
野球歴:山下少年野球団〜平塚リトル〜平塚シニア〜県立茅ヶ崎北陵高校〜同志社大学〜カナフレックスコーポレーション
ポジション:ピッチャー