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初めまして、Pyrus Inc. の小林巧汰です!

新卒2年目でサラリーマン生活に終止符を打ち、去年12月に起業しました。

「起業」というとイマドキなので、聞こえがいいかもしれませんが、本当にゼロからのスタートだったので、毎日失敗と挑戦を繰り返してばかりです。

今は、スポーツ関連で事業をいくつか運営し、大好きな野球に恩返しができる仕事をしたいと思い、考える力と野球力を磨く野球アカデミー「Pyrus Baseball」もはじめました。

というのが、最近の僕の紹介です。

野球をはじめたきっかけ

起業をしようと思ったきっかけも野球があったからなのですが、長くなるので別の機会にブログで(笑)

ここでは僕の野球人生を紹介して、どんなパーソナリティなのか少しでもお伝えできればと思っています。

僕の人生を左右することになった野球ですが、始めたのは小学2年生(7才)の時でした。本当はサッカーがしたかったのですが、野球好きな父の期待に応えたいという気持ちから、野球を選びました。小さいながらに健気ですよね(笑)

文武両道に目覚めた小学生時代

僕は小学生の6年間で3チームを渡り歩きました。今思うと、よくそんなに変えたなと、自分でも思いますが、当時は変えざるを得ませんでした。

最初に入部したチームは、野球大国・横浜で優勝常連チームでした。手前味噌ですが、小さいながらにして運動神経がよく、小学2年生で小学4年生の試合に出してもらっていました。ただ、正しい投げ方を教えてもらっていない状態、いわゆるセンスのみでプレーをしていたので、入部して直ぐに肘を壊しました。

「痛いけれど、試合には出たい、周りの期待に応えたい」という気持ちから、治るとすぐに試合に出てはまた壊し、を2年くらい繰り返して、夢遊病になりました。深夜、急に起き上がりバットを持ち出し、玄関の外に出て、ボールがないと毎日泣いていたようです。

大好きな野球がもうできないと諦めかけた時に、母の友人のプロサッカー選手に大切なことを教えてもらいました。

「僕の周りにはサッカー経験者ばかりいるけれど、サッカーだけでなくお医者さん、弁護士さん、パイロットさんがいるよ。体を壊した時に、自分の身を守るためにサッカー以外に自分の好きなことを見つけて勉強し、二軸で夢を追いかけているよ」

この言葉を聞いて、プロ野球選手になるという夢を追いかけながら、将来したいことができた時に備えて学校の勉強もしっかり取り組むようにしました。そして、野球以外にも夢中になったら夢遊病が途端になくなりました。驚きですよね。

トップに触れた中学生時代

中学生になってからも文武両道を続けたかったので、自宅から1時間離れた場所にあったチームに入りました。塾と硬式野球チームが一緒になった、当時は珍しいチームでした。

僕が中学2年生の時に日本一に輝き、3年生の時に全国ベスト8になるようなチームで、当時のチームメイトに、いま中日ドラゴンズで活躍している高橋周平選手がいました。

中学生野球のトップに触れていたので、良くも悪くもどんな世界でもトップにならないと気が済まない性格になったのは、ここでの3年間が大きく影響しています(笑)

そんな時期に、祖父と野球の本場・アメリカに第2回WBCの決勝を見に行き、いい意味で衝撃を受けました。

それまでは「次は甲子園だ!」と意気込んでいたのですが、甲子園を目指した後はアメリカの大学野球をするという目標が決まった瞬間でした。世界最高峰の試合を見れたことで、視野が一気に広がった時代です。

不可能を可能に変えた高校生時代

高校に進学してからは、災難続きでした。

野球部に入ってから、肺桔梗、鼻骨骨折、膝の靭帯断裂、血行障害による肩の手術と、立て続けに怪我をして、まともに練習に参加できるようになったのは3年生の4月でした。

ただ、その時点で最後の夏の試合に出るメンバー選考まで半年もありませんでした。そうなることは予めわかっていたので、怪我の期間中は監督の隣から離れることなく、表情、声のトーン、発言内容を事細かにノートにまとめ、家に帰っては見直す、を繰り返していました。

その甲斐あってか、監督が求めていることが自分のことのようにわかったので、復帰してからの試合でヒットを量産し、最後の最後でメンバー入りすることができました。

今でも鮮明に覚えているのは、監督のサインの2球先を読み、得点に繋げることができた瞬間です。本当に嬉しく、僕の高校野球を象徴する名シーンでした。監督が覚えているかは、わかりませんが(笑)

どんなに絶望的でも、必死にできることを探し続ければ道は開けるということもこの時代に学びました。そして、「不可能」なことはないと考えるようになったのもこの時からです。

「死ぬほど頑張った」大学時代

だいぶ長くなっていますが(笑)、あと少し大学時代と社会人時代のことを書かせてください。

大学は、中学生の時に決めた目標通り、アメリカに進学しました。進学するまでにも色々と問題があったのですが、なんとか無事に乗り越えて、カンザスにある全寮制の大学に野球部の奨学生として進学できました。

ただ待ちうけていたのは、寝る時間もないほど壮絶な生活でした。入学前からアメリカの大学では、勉強ができないと部活ができないと聞いていましたが、半信半疑でした。これが甘かったんですね(笑)本当にある程度の成績を取れないと、練習にすら参加させてもらえませんでした。

そんなこともあり、不得意な英語で毎日2時まで勉強し、朝の5時から野球部の練習、という日々を4年間過ごしました。テストが終わるとプレッシャーから解放されてか、トイレで1時間ほど気を失ったように寝ていたなんてことも頻繁にありました(笑)

この時に、いわゆる「死ぬほど頑張る」ということを身を持って経験しました。あと、高校までは物理的に家族に支えてもらっていたので、食事や洗濯などほとんどせず、自分の好きなことだけに集中できましたが、大学は身の回りのことも、勉強も、野球も全て自分で、だったので家族の有り難みを噛み締めながら、タイムマネジメントも上手くなりました。

そして、いよいよ学生生活よりも長く人生を占める社会人時代の到来です。

すでに書いてきたようにトップを目指したい、不可能なことはこの世の中にない、死ぬほど頑張れる、という考えがあったので、就職先も難易度が高いところがいいと思って、投資銀行に入ると決めました。そして無事に内定をもらったのですが、同期にはいわゆる優秀大学と言われている東京大学や京都大学、UCLAなどの海外大学出身ばかり。

それまで野球ばかりだった僕には出会ったことのない人種で、非常に刺激的でしたね。

業務の方はというと、企業価値を算定することが主業務だったのですが、「本当にこの企業にこの数値的価値があるか?裏付けは何か?」といった、物事の本質を見極めるような質問が毎日雨のように降ってくる環境でした。精神的にはタフでしたが、同時に楽しい仕事でした。

ただ、「価値」という言葉を耳にタコができそうなほど聞いていた当時、自分の価値についても考えるきっかけとなる出来事があり、結果としてサラリーマンをやめました。

自分は、野球のおかげで成長ができ、幸せな人生を過ごせているので、次は野球好きな子どもたちの可能性を広げる手伝いがしたい、そう思ったからでした。

上手い、下手に関わらず、野球が好きな子どもたちが思い切りボールを打ったり、投げたり、追いかけたりしながら、考える力を育み、未来へつながる可能性を広げていけるようなベースボールアカデミーにしていきたいと思っているので、ぜひご興味ある方はPyrus Baseballに遊びにきてください。

よろしくお願いいたします!

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Post Author: pyrus.academy