東京都世田谷区・川崎市高津区にある野球教室のパイラスベースボールでは、どんな学びを子どもたちに届けるべきか、日々議論を重ねています。第10回のオンライン会議では、スポーツ科学の専門家である永野智久さんをゲストに招き、スポーツの世界で重要とされる「ノート」をつける習慣のポイントなどについて聞きました。

ゲスト紹介

永野智久(ながの・ともひさ/1977年生まれ。博士号(学術)。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおいて10年間研究と教育に従事。2015年10月 より&SPORTS代表と慶應義塾大学大学院SDM研究科特任准教授、2019年4月より横浜商科大学商学部准教授を務める。専門はスポーツ科学及び人間工学。「巧みなワザやコツの可視化」をテーマとして、サッカーを中心にスポーツ選手のパフォーマンスを定量的に評価する研究を続けている)

野球ノートとサッカーノートなど記録をつける

小林巧汰(パイラス代表) 自分で考えて自分で決められる子どもたちを育てることが、パイラスが掲げる目標の一つです。そのために、対話を通じて子どもたちの心の中を見ようとしていますが、指導の良し悪しに関する科学的な根拠は持ち合わせていないのが現状です。今回はスポーツ科学の専門家である永野さんに、パイラスでの指導の仕方をどう変えるべきかを聞きたいと思っています。

永野智久 私は主にサッカー選手を対象として、主観的に判断が難しい要素を客観的に分析する研究をしてきました。特に、試合中や練習中に何を見ているかを計測して分析するアイ・トラッキングの研究が専門分野です。最近はトップアスリートを研究対象にするだけではなく、彼ら彼女らの人間性が磨かれた中学生や高校生といった時代の環境整備が必要だろうと思い、若い年代の選手のために地域スポーツクラブの振興にも力を入れています。

ただ、こうした研究はまだ科学的に正しいと立証できておらず、葛藤している状況です。研究者の課題としては、アスリートがどんな行動をすれば目標とするプロの世界にたどり着くかの過程を分析しにくいという点が挙げられます。たとえアスリートの成長した道筋が分かったとしても、その選手は真っ直ぐそこに向かったわけではありません。高くジャンプする時も静止状態から飛ぶのではなく、一回しゃがんでから飛びますが、まさにそのしゃがむ動きというプロセスがわかりにくいのです。選手の成長記録に基づく研究方法もありますが、あくまでそれは本人の主観に基づく内省的な日記になり、本当に選手が記録通りの状況だったのか、客観的には判断できません。本人は苦労していたと言っても、客観的にはエリート路線に乗っかっていた人もいます。

國正光(パイラス・ピッチングコーチ) 主観と客観の違いに関する指摘は大変興味深いです。かつてイチロー選手がメジャーリーグに挑戦する1年前、本人は相当なスランプに陥っていたと語る一方で、結果的には首位打者を始め多くのタイトルを獲得しました。トップアスリートの世界でも、主観的には良くないが客観的には良いという感覚のズレがあるという証拠です。アマチュアの選手だと、調子が良いか悪いか主観的にはもっと分からないものだと思います。

永野 調子が悪いと思っている人がヒットを打つことができた時、同じ意識の中で10回やれば8回はヒットを打てるとなると、主観的に調子が悪いと思っていたのが事実ではなかったと立証できます。また調子が悪いと言っても、1から10までの10段階といったように程度の差にバラツキがある場合もあります。

さらに、普通の状態より失敗した時といった特別な状態のほうが記憶に残りやすく、こうした脳の記憶の仕方によっても主観と客観のズレは生まれます。だからこそアスリートにとって、それぞれの状態における感覚をどう記憶に定着させるかが重要になります。これこそが、アスリートに対して野球ノートやサッカーノートといった記録をつけたほうが良いと指導する理由です。

サッカーノートについては、トップアスリートの中村俊輔選手も昔からつけていたとテレビのインタビューで話していました。中村選手は中学から高校に上がる時、横浜マリノスのジュニアユースチームから一個上のユースチームに昇格できなくて気持ちが沈んでいました。そこで桐光学園に進学することとなり、サッカーノートを書いたほうが良いという指導を受けたそうです。ユースチームを見返すにはノートに記録するのを続けないと行けない――。そうしたモチベーションがあったからこそ、サッカーノートを意識的に取り組めたのではないでしょうか。

これは今の子どもたちも学ぶべきです。サッカーノートでは、今日は良かったとシンプルな記録をつけるだけではなく、一日の練習内容を最初から脳内で再現してから「あのプレーが良かった」と思い出して書き記すことが必要です。そうしてレベルの高いノートにするためには、本人のやる気に火を付けることが大事であり、中村選手のような意識改革の経験が求められるでしょう。

iPhoneで撮影した動画を後日保護者に共有する

テクノロジーを活用して子どもにすぐフィードバックする

國正 パイラスでは、活動内容を記録した動画とコーチからの客観的なフィードバックをセットで送っています。そうした行動を続けると、子どもたちに二つ変化がありました。一つはパイラスに入って半年くらい経過した子どもが、最初はコーチと話していても自分のことを全く打ち明けてくれなかったのに、今は「これをやりたい」という感情が出てくるようになったことです。親御さんも、「子どもが『こういうのをやってみたい』と自分の意見を話せるようになって驚きました」と言ってくれました。二つ目は、コーチと親御さんの間で「こういうプレーがとても良かったので子どもを褒めてください」といったかたちでのコミュニケーションを取る機会が増えたことです。ただ、これらの行動とそれに伴う結果には科学的なエビデンスがありません。また、フィードバックの方法も今のままで良いのかという悩みもあります。

永野 フィードバックする上で大事な要素の一つがタイミングです。一般的には、プレーをした直後にフィードバックするほうが良いと言われています。練習の現場ですぐフィードバックして、さらに修正したものをすぐまたフィードバックするほうが、プレーのパフォーマンスは上がりやすいと言われています。

今は小学生の体育の授業において、iPadを活用する場面が増えています。例えば、バスケットボールのレイアップシュートをiPadの背面カメラを用いてゴール前で撮影し、撮影から10〜15秒後ぐらいで動画を再生するアプリがあります。選手はシュートをしてからゴールの後ろに回り込み、時間差を利用してすぐに動画を確認できます。

スポーツアカデミーの中には、iPadを持っていても指導者がそれを使うことを受け付けないところがあります。ですが、1日5分といった短時間で良いので、自分のプレーする映像を繰り返し見ることはとても大事です。サッカーも1試合丸ごとプレーを見るのは大変ですが、自分がプレーしている姿をタグ付けすれば必要な部分だけ検索して見ることができます。指導者にタグ付けや編集を行う余裕がなければ、選手の中で映像担当を決めて編集してもらうという選択肢もあります。映像担当にとっては、他人のプレー映像を見て学ぶというメリットもある。テクノロジーを活用して、選手が自分のプレーを比較分析できる習慣を定着できる仕掛けはとても大事です。

ただやはり動画だけでは、シュートがゴールに入ったか入っていないかという結果は確認できますが、そこに至るまでのプロセスは分析できません。動画で確認できないものをきちんと把握しつつ、手本となる合理的な型を提示する指導が求められます。手本を模倣しながらワンプレーずつ理想に近づいていけば、成長速度が上がっていきます。まだ、こうして主体的な発見を繰り返す指導方法を取っている指導者は少なく、反対に「俺が正しいから聞け」と主張するトップダウンの指導者が多いという問題もあります。一般的にはボランティアで指導している人も多く、「今週末の試合で勝つためにどうするか」と指導者は結果を追い求めがちになります。またボランティアでやっているからこそ、指導者に対して親御さんも不満を言いにくく、これらの問題を解決しなければなりません。

>後半に続く