野球教室のPyrus Baseballでは、どんな学びを子どもたちに届けるべきか、日々議論を重ねています。第10回のオンライン会議では、横浜高校野球部で長年寮母を務めてきた渡辺元美さんをゲストに招きました。元美さんは寮母として高校生をサポートしながら、同時に母親としてご自身の息子を支え、プロ野球選手にまで育て上げた経験を持ちます。元美さんに野球に対する思いを聞きます。
【ゲスト紹介】
渡辺元美:(わたなべ・もとみ/神奈川県生まれ。横浜高校元監督である渡辺元智氏を父に持ち、1997年に寮母を務めていた母の紀子さんの後を引き継ぎ、横浜高校野球部の寮母になる。父の元智氏が横浜高校の監督を勇退した3年後の18年3月、寮母を引退。その後桜美林大学のアスリート寮において、食事面の支援を担い、現在は「お結び」という名前で学生アスリートの体作りサポートをコンセプトに人と人をつなぐ活動を行っている。

野球に携わる大人は指導者ではなく案内人を目指してほしい
國正光(パイラス・ピッチングコーチ)元美さんは、横浜高校野球部の寮母として高校生を支えながら、母親としてプロ野球選手の息子を育ててきた経験を持っています。色々なかたちで野球に関わってきた中で、アマチュア野球の世界で変えたほうが良いと思うことは何でしょうか。
渡辺元美 長年野球に携わってきましたが、例えばあるべき指導者像といったものを、息子に野球を習わせていた時に優先して考えていたわけではなかったです。こうしたテーマは、子どもが社会人になって初めて振り返れるものだろうなと思います。私が今になって強く思うのは、誰もが野球だけをやって一生を終えるわけではないので、野球を通じて、社会で生きていく力を身に着けてほしいということです。
では、指導する側はどうあるべきなのか。今は「指導者」という言葉を当たり前に使ってしまっているため、大人の理念を頭ごなしに教える風習が生まれているのではないでしょうか。その結果、指示しないと何も出来ないまま子どもたちが育ってしまう傾向があると感じています。
ある時、こんな出来事がありました。寮母として食事を作っていた時に、急用があったため「弱火にしているから火を見ておいてね」と調理補助に入ってもらう部員にお願いして、キッチンを離れたことがあります。5分後にキッチンに帰ると、料理が焦げてしまっているのに、その部員は火を止めていませんでした。どうして火を止めなかったのかをその子に尋ねると、「火を見ていてと言われたから見ていた。火を止めてとは言われていない」という返事が来て、衝撃を受けたことがあります。火を止めないと何が起こるのか、自分で考えて行動ができていなかったのです。野球に携わる大人は、「想像して行動する力」を子どもたちから導き出す案内人であるべきだと思います。
野球には子どもの「選択」を尊重できる環境が足りない

渡辺 良い野球の指導者とは何か、という問いに対する答えはさまざまです。技術に特化した指導をしてほしいという親御さんもいると思います。ですので、子どもに合った指導者を選択できる環境が必要ではないでしょうか。
指導者や雰囲気を見極めた上で野球チームを選ぶ時、近所の通いやすいチームに入団させる場合が多く、指導者や雰囲気を見極めた上で選ぶ人は少ないと思います。また、私の息子が中学生だった頃には、野球以外も含めた他のスポーツチームに移籍や参加するのはタブーとされていました。ですが、「野球以外に卓球だけ少し習わせたい」といった要望を持つ親御さんは意外といます。
私はパイラスの活動の中で、野球以外のテーマを子どもたちに体験させて、自ら考えさせているのが素敵だと思っています。子どもたちの選択肢をより増やしてあげてほしいですし、そんな子どもたちの選択を尊重できる社会になってほしいです。
國正 確かにかつての日本の社会では、みんなと同じ決まった道を進むほうが正しいという価値観があったと考えています。しかし、今の多様性を重視する社会ではこの価値観が合わなくなってきています。その変化に気付かず、考える力を身に付けないまま社会に出て苦戦する人もいます。これは、自分自身で選択する経験を子どもたちにさせてあげることで変わるのではないでしょうか。この価値観を、少年野球に関わる親御さんと一緒に作っていきたいと思っています。
渡辺 親御さんの野球との関わり方についても、もっと選択肢が必要です。土日の練習に毎回参加することを苦痛だと思う親御さんがいる一方で、土日くらいは子どもたちの頑張っている姿を見たいという親御さんもいます。「他の親御さんが参加しているから、私も行かないといけない」という雰囲気を醸成して、練習参加を強制するのは駄目です。多様な価値観を否定する世界を、ぜひ変えていってほしいと思います。
食事は親子間での大事なコミュニケーション

小林巧汰(パイラス代表) 寮母として、そして母親として野球選手に携わってきた元美さんは、子どもたちのメンタルをサポートする上でどういう心がけをされていたのですか。
渡辺 一生懸命に野球をしている彼らをサポートしたいという一心でやってきました。その彼らに対して、真剣に向き合うことが大事だと思っています。
國正 子どもたちは多種多様な考えを持っていて、性格の波も激しいです。そうした子どもたちと、どう向き合うべきなのでしょうか。
渡辺 母親は、何かあると自分の意見をわっと言ってしまう傾向にあります。だからある時、息子に「とにかく待って、俺の話を聞いてくれ」と言われたことがありましたね。その時に初めて、息子の話を聞く前に私の思いを一方的に伝えてしまっていたことに気付かされました。子どもと向き合う上での大事なポイントは、相手が話し始め、話し終えるのを待つということだと思います。
小林 私もそれに尽きると思います。子どもたちによって物事の感じ方はさまざまで、話を聞いてもらいたいと主張する子どももいます。聞くという姿勢が、指導者として培うべき姿勢でしょう。
渡辺 高校生でも、グラウンドで辛い体験をすると、泣きながら寮に帰ってくる子どももいました。そこで「ちょっと話を聞かせてごらん」と問いかけると、こういうことがあったとポツポツ自分の気持ちを話してくれます。しかし、もしそれが自分の息子なら、「なに泣いているの。グラウンドに戻りなさい」と真っ先に言ってしまっていたでしょう。あるべき母親としての姿を、高校生を通じて学んでいたのかもしれません。
國正 最後に元美さんから、少年野球を支えている親御さんに対してメッセージをお願いしてもいいですか。
渡辺 私の友人に、野球部の息子さんを持つ母親がいますが、こんな素敵なお話がありました。その息子さんは、高校野球をしていた頃は明らかな反抗期でした。母親は練習のたびにお弁当を作り続けました。野球部での三年間の練習を終えて、殻になった最後のお弁当箱を空けた時、「野球を続ける中で、お母さんのお弁当が唯一の楽しみでした」という息子さんからのメッセージが添えられていたのです。
親子の向き合い方は、何も言葉を介するものに限りません。私は寮母として、食事を通じて子どもたちと向き合ってきました。毎日のお弁当作りを苦痛という親御さんも確かにいます。ですが、食事は大事な親子間のコミュニケーションの一つです。ぜひ大事にしていってほしいと思います。
